滅多に行かない地元の名所/天橋立

天橋立1

私が住んでいる近くに日本三景の天橋立がありますが、近すぎてあまり行かないって事ありますよね!?
今回は京阪神から来られた方と一緒に行ってきました(^_^)
近くに住んでいる私より、よっぽど知識が豊富で案内していただきました(^_^;)



天橋立2

伊根の帰りに寄ったので、まずは笠松でまた覗きと思ったのですが、伊根で時間を使いすぎたのでまた覗きはパスして観光船に乗って天橋立観光です。

海猫の数はやはり伊根の方がすごかったですね・・・
でも、日本三景の天橋立を観ながらの船旅も良いもんですね(^_^)

そうこうするうちに対岸に到着しました。

天橋立3

内海に入るのはこちらしか無いのですよね!!

小さな船はこちらからでも良いみたいですが、ちょっと大きな船になるとこちらの廻旋橋を通るらしいですね!?
回っているところを撮ってみたかったのですが、今回は出会うことが出来ませんでした(^_^;)

天橋立4

船着場の様子です。

天橋立5

天橋立6

まずは『三人寄れば文殊の知恵』の『知恩寺』へお邪魔しました。
私はあまり興味が無かったので、茶屋へ即行しましたが・・・

天橋立7

天橋立8

こちらが多宝塔です。詳しくはこちらをご覧下さい。

円 形の塔身の上重に相輪をあげ、下重には方形の裳階(もこし)を付けた形式の塔婆を多宝塔といいます。丹後国守護代で府中城主延永修理進春信によって建立さ れたこの多宝塔は、室町時代のものとして丹後地方唯一の遺構です。明応九年(1500年)三月に釿(ちょうな)初めが行われ、翌十年四月に落成したこと が、上重連子(れんじ)窓の裏板や来迎壁の背面、上重の柱(八角形)に記された墨書きにより知られます。

下重には来迎柱が立ち、前方に須弥壇をつくって中央に大日如来が安置されています。籠神社別当大聖院の智海が、来迎壁の背面に片足を上げた不動明王を描いており、「八十余歳書之 智海」の署名があります。

下重の軒廻りは拳鼻(こぶしばな)付の出組(一手先斗きょう)とし、中備として中央は二つ斗(双斗)、両脇間には間斗束(けんとつか)を置いています。和様を基調としたなかで、この二つ斗と拳鼻は天竺様(大仏様)、唐様(禅宗様)の手法として採用されています。

左右に大きく広がる上重の屋根は柿葺で、これを四手先の斗きょうが支持しています。上重と下重をつなぐ漆喰の亀腹が小さいのは古風であるといえます。


そして文殊堂、こちらもHPをご覧下さい

雪舟筆の「天橋立図」(国宝)には天橋立南端の本寺も描かれ、現存する多宝塔のほかに、裳階(もこし)付で宝形造とおもわれる建物が描かれています。現在の 文殊堂は裳階(もこし)付ではありませんが、屋根は宝形造であり、桁行柱間は裳階と同じ五間です。この建物が現在の文殊堂と同じものであるかどうかの確徴 はありませんが、内陣の四天柱には十三世紀初めに遡るものがあり、その形姿は中世のたたづまいを継承していると思われます。

文殊堂が現状のように改められたのは、明暦元年(1655)から始められた、宮津藩主京極高国による修理によるものです。

屋根はわずかに照り起(むく)りを帯びた優美な宝形造で、正面に三間の向拝を葺き降ろしています。現在は銅版葺ですが、宝珠の銘文によって明暦三年(1657)に屋根の葺き替えが行われたことが、今回の修理で判明しました。旧状は檜皮葺であったとみられます。

向拝(ごはい)以外の柱はすべて円柱で、前面から側面にかけて擬宝珠高欄付の落縁を巡らしていま す。前寄り二間通りの外陣(げじん)は柱を省略した広い空間として、周囲を吹き放して多数の参拝者を迎えています。正面中央の二本の柱の木鼻の唐獅子は、 それぞれ少し外側に顔を向けています。

桁行三間の身舎(もや)を内陣とし、三方の庇(入側)は吹き放しの化粧屋根裏としています。内陣 は天井が折上小組格(おりあげこぐみごう)天井という丁寧な造りになっています。中央に四天柱を立て、来迎壁をつくって唐様須弥壇(しゅみだん)を設けて います。 装飾的な細部のつくりは全体に上質で、四天柱の木鼻は近世初期の調子をよく示しています。

明暦修理の棟札には、内陣の四天柱は腐っておらず「草創之本柱」であると記されています。今回の 修理中、正和三年(1314)や文永七年(1270)という鎌倉時代除の年号を示す墨書が見つかりました。来迎壁の背面に両界曼荼羅や仏画が描かれていた ことも判明しました。四天柱のなかの一本、すなはち須弥壇に向かって左の柱には、貞和三年(1347)二月から三月にかけた七日間の参籠を記念した次の釘 書が見とめられます。

二月廿七日従三月四日迄 貞和三年三月四日 七ヶ日参籠沙門道俊義超是也

このほか嘉吉元年(1441)、文安三年(1446)と読める釘書もあり、棟札の記事を裏づけしています。

天橋立9

あとは天橋立です。

天橋立10

こちらが昭和天皇行幸の御歌碑です。

『わずらわしく
    晴れわたりたる
          朝なぎの
 浦わにうかぶ
          天の橋立』

そして日本三景碑です。
近くに住んでいるとそんなに思わないのですが、こんなに近くに日本三景があるんですね!?

天橋立11

天橋立12

こちらが『与謝野寛・晶子』夫婦の歌碑です。
私みたいな物にはとうてい読めませんので、下の写真をご覧下さい。

天橋立13

天橋立14

あとは『知恵の松』です。
こちらの松は、一本の松が三叉になっていて『三人寄れば、文殊の知恵』から引用された松らしいですね。
興味のある方は是非ともいらして下さいね!!
お待ちしてます(^_^)

天橋立15

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